その20年後

2005年の1月、パソコンの前でiモード用のホームページとi アプリ「消しゴムの国」を公開したミミタンは次のアクションゲームのアイデアを練りつつお正月を過ごしていて、成人式に行った友達からの電話で「なんで来ないのー」と言われたのを思い出します。

20歳までに何者かになれなかったら人生終わりだなーと諦めていたのに、20歳になってしまい、数日間延長戦だと生きてなんとなく作った「消しゴムの国」が「なんか始まった」と思う手応えがあったのを覚えています。

今思えば、この話はそんな時間切れの状態から始まったんだと思います。

そのあとの2年ほど、アプリを作って増やす過程はとても楽しく、多くの人に楽しんでもらえて、いろんな会社に出会い、仕事としてもゲームの会社に入るという夢を叶えるところにもつながります。

その後もべつに安泰ということはなくて、端末がスマホ、iPhoneに移ると開発の難易度(絵などのボリューム)があがり、社会人になると趣味に継続して時間が取れず、ゲーム開発の趣味はだんだんと減ってしまいました。
結婚した人を28歳で亡くしてしまい、1人で6年ほど子育てをする時間にあてたのもありました。
ゲームはずっとちゃんと作りたかったですが、どんどん離れてしまい、10年とすこしでゲームではない業種に興味が湧き、仕事も移っていました。

忙しいながらも、だんだんと生活リズムが安定し、Unityの導入があり、コロナで家にいる時間が増え、ここ5年くらいは1年に1つくらいのペースで自分でもちゃんと作ったなと思えるゲームが作れたように思います。
なにより開発機材や素材をゲームの収益で賄えて黒字になったのでこれはもはや趣味ではないのです。
(会社に副業申請もして確定申告もした)
そして気づけば子供も大きくなっていて勝手に部活に行きます。

20年前からずっとミミタン知ってくれていて、一緒に20年それぞれの人生を歩んで、今この文章を見てくれている人もいれば、もっと最近に知ってこの文章を見てくれている人もいると思います。

あの時、最後だと思って作ってみたゲームは20年続く活動として、ミミタンの人生の軸になって今もあります。
もっと大きな規模にしたかったなーと考えることも、もちろんありますが、自分にできるかぎり、一番自分がいいと思うようにやった結果が今だと思っています。

20年も続けてしまったので、これからもゆっくりでも儲からなくてもいいのでゲームを延々作る人ではありたいです。

2005年から20年後の2025年になりました。
今年もよろしくお願いします(人´∀`)

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