人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎない

前に誕生日頃にちょっと書きましたが、ミミタンは気付いたら幸いにも必要なものは大体全部手に入っていたのです。住む場所とか生活の形とかですね。

遊んで暮らせるという意味ではないので、手に入ったというより、なんとかできそうな目処が立ったという感じでしょうか。実際お金がないですし、不況や病気になれば、また違うんでしょうけど。

でも、とりあえずお仕事をして、健康に気をつけて、日々生活して行けば多分、生きてはいける状態ではある、と思いました。

大切な人を見送って、生きることに追われた生活をして3年ちょっとです。最近、ようやく、子供にもそれほど手がかからなくなったと感じました。

大切な人も「とりあえず小学生までは頑張って育てよ」とのことだったので、この必死な生活もゴールが近いなと。もちろんそれ以降も大事に育てますけど、それはもう無意識にでもすると思うので。
さすがによく考えられたゴール設定でした。

そんな風に、じゃあこれから能動的に何をする人として生きようか、ちょっと考える機会がありました。

ゲームなら、もう自分が思うがままに作れるし、今後も作ると思います。

それでもやり足りない分、表現し足りない分、何をしようかと。

学生の頃は何かにならなくてはならなくて、やるべき事がたくさん与えられていて不安感に追われ忙しいのですけど、大人になると急に人生はたくさんの時間があって。超暇です。

旅をする、音楽をする、スポーツをする、ペットを飼う、色々考えたものの、今から新しいものを納得するまでやるのは、多分、ハズレそうです。
(猫か金魚は飼った事あって、良かったのでまた飼いたいです)

そもそも好きでないからやらないし、続けてこなかったはず。

競争したり、挑戦したり、賭けたり、ハラハラドキドキ、そうでないのがいいです。

かといって、何かを見るとか、食べるとか、受身なのではなくですね。

「何をして残りの時間を潰すか」

ここ最近、延々と、この事ばかり考えていました。
思いつかないとまずいなと。

で、今日、ふと答えを思いつきました。

アプリを作り始めた時、漫画を描けるようになりたくて、うまくいかなくて、数年前にアプリが作れたな、ゲーム好きだったな、と原点に戻って始めて今になりました。

それを思い出してみて、今、また同じように考え直しました。

人生の一番最初はたぶん、絵を描く人になりたくて、そこが本当の最初のスタート地点だったなと。

育った場所の近くに絵画教室がありました。
保育園の頃から自分で望んで教室に通ってました。

「絵を描く」

写真は楽しいので続いてますけど、絵なら、さらに写真では撮れないものを作れるかと。

例えば、この家で3人で過ごすはずだった日々の風景さえも描けるな、と。

この答えを出して、とりあえずここ数ヶ月のモヤモヤも晴れたので、ひとまず十分でした。

絵はきっと残りの人生全部の暇を潰せる十分な深さもありそうです。
平面だけでなく、立体物も作るのもいいですね。
HHRに載せてもいい。

絵を描くために旅をしたり、音楽をしたり、スポーツをしたり、ペットを飼ったり、それもいいんじゃないかと。
(猫か金魚は飼った事あって、良かったのでまた飼いたいです)

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